子供の教育における適切なメッセージ
人の学ぶプロセスは、生まれた瞬間から始まっています。自らの体、器官、そして周囲や世界を知り始めた人間は、アッラーの与えられた能力に応じて、学んだことを実践しつつ、自らを成長させます。聴覚、視覚、触覚、味覚、嗅覚といった感覚のおかげで、彼らが学んだことは日々増えて行きます。周囲からもたらされる刺激やメッセージも、学ぶこと、潜在意識を養うこと、そして人生を知ることを助ける要素となります。不十分な刺激しか受けていない子供の知的、精神的発達が停滞してしまうように、不必要な、過度な刺激を受けている子供の発達にも問題が生じることがあります。子供達の最初の3年間でもっともはやく発達するのが精神システムであることを認識すること、母の胎内にいる時から肯定的なメッセージを与え、その発育を助けることが必要なのです。
聴覚によって得られたメッセージは、子供の発達や教育において重要な位置を占めるものです。十分な、適切なメッセージを受け取った子供達はその発達も肯定的なものとなるでしょう。赤ちゃんが、胎内にいる時から始まっていた聞くという過程のおかげで母の声を区別すること、そして母親の声が子供にとって心地よさをもたらすものであることはよく知られた事実です。母親が歌う子守歌は赤ちゃんに安らいだ眠りをもたらす一方、騒音や不適切な環境は赤ちゃんの機嫌を悪くします。赤ちゃんが特に最初の3年間において騒音にさらされることは、その神経システムによくない影響をもたらします。残念なことに一部の父母は、子供達の部屋にラジオやテレビといったものを置き、子供達がずっとそれらを聞き続けなければいけないような環境を作り出します。実際には赤ちゃんにとって最良の発達は、彼らが受け入れることのできる、特にその年齢にふさわしい形で聴覚への刺激を受けることなのです。また逆に子供のそばで長い期間話がなされないことも、言葉の発達を不十分なものとします。子供達の潜在意識をきれいな声やメッセージによって支えなければならないのです。母親と父親の間で交わされる、きれいなトーンを持った会話、役に立つ話題についてのおしゃべり、読まれる美しい詩、家の中で聞かれるクルアーンの声、モスクから流れてくるアザーン(礼拝前の呼びかけ)の声、歌ってもらっている子守歌などは、子供達が音声として適切な刺激を受けることを助けます。
視覚によって得られたメッセージも、子供の発達において非常に重要です。人は、自分自身を、様々な物を、自然を、見て触り試すことによって認識していきます。物を見るという特性は誕生と共に始まりますが、それが成熟するのは6ヶ月目に入ってからです。赤ちゃんは、発達過程において見たもの全てを学ぼうとします。見たものは潜在意識にも蓄えられます。母親や父親は子供達のためによい振舞いによって模範となる必要があります。子供達が家庭内で、両親の振舞いに注意を払っていることは周知の事実です。助け合い、献身、寛容、勤勉、責任感、正しさ、思いやり深さといったものが家庭内で実践されていると、子供達はそれらをより簡単に理解し、把握することができるのです。両親の礼拝しているところ、本を読むところ、働くところ、客をもてなすところを子供が目にすることは、子供達がそういった行動に注意を向けることがなかったとしても、それらが潜在意識において定着することの助けにはなるでしょう。けんかや口論、否定的な言葉の応酬は、子供の発達にマイナスの影響を与えるでしょう。
人の潜在意識において超コミュニケーションを媒介として与えられるメッセージは、より影響力を持つことが知られています。例えば、何らかの製品のコマーシャルでは、その製品の品質よりもそれを使う人々の笑顔や幸せそうな様子がより影響を与えるのです。なぜならそれによって「あなたもこの製品を使えば幸福になりますよ。」というメッセージが送られているからです。子供達がよい環境で育つことは、間接的にいくつかの振舞いを模範とすることを助けます。要するに、私達が子供達に口で説明して教えようとしたことは、彼らが自分で見て学んだことに比べるとほんのわずかの価値しかもたないのです。学習過程において最もよく用いられる手段が、見て学ぶことなのです。この観点からも、子供達の発達や魂の健全さに有益な刺激を与える必要があります。両親は、否定的なメッセージを過度に与えられた子供達を導くのに苦労するようになります。なぜなら私達が口で説明することは、彼らが目で見て学ぶことに比べてあまり影響を及ぼさないものであるからです。
私達が暮らす場所柄も、しつけや教育の観点から非常に重要です。子供達の学校を選ぶ際に注意深くあることは有益でしょう。私達がなしえる最良のことは、よい環境を持った学校を選び、子供達が目で見て実践して肯定的な影響のもとに潜在意識を保つことを助けることです。教師が態度や行動において模範となることは、性格へのしつけにおいて必要不可欠な鉄則です。生徒達が学校環境の中で正しく均整のとれた刺激を受け取ることは、その学習を支えることにもなります。子供達は物理や数学といった複雑な問題を学ばなかったとしても、彼らの性質の発達は必ずサポートされるべきです。それを受けなかった子供は、非常に進んだ知識を学んでいたとしても、自分や他者の役に立つことはできないでしょう。性質へのしつけにおいても、教師の身だしなみや話し方、出来事に対する反応や行動などが、彼らが口で説明することよりもより影響を与えるでしょう。
メディアが子供達に与える影響については議論の余地もありません。暴力、恐怖、道徳のゆがみ、不適切な行動などはメディアによるネガティブな影響力を反映するものです。人生の最初の数年においては、テレビのネガティブな影響力はまた異なった意味を持ちます。赤ちゃんがテレビの前で長く過ごすことは、言葉の遅れや社会への不適合をもたらすことが知られています。こうした形でテレビから過度に受ける視覚や聴覚への刺激は、子供達の発達に悪影響を及ぼします。一部の親は、子供達にテレビを見せながら食事をさせ、体を成長させようとしながら、彼らの人生に否定的な影響を与える刺激を受けることを助けてしまっているのです。子供の発達において、特に赤ちゃん時代においては、テレビやインターネットから受け取られる不適切な刺激に注意を払うべきなのです。その時期には、テレビ画面に映るものよりも、母親や父親との交わりや彼らの愛情、話、優しく撫でられることや抱きしめられること、遊んでもらうこと、そして人々と影響を与えあうことを必要としている乳幼児は、テレビ画面の前に取り残された時には、人間らしい特質を発達させることが難しくなるでしょう。育ち盛りの脳は、あらゆる映像、音に影響を受けるということを忘れないでください。わずかであったとしても、あるいは短時間であったとしても、継続的に繰り返される刺激はそのうち子供達を変えてしまうでしょう。
触覚、味覚、臭覚によって得られた刺激によっても、子供達に肯定的影響を与えるようにする必要があります。乳幼児が撫でられ、胸に抱かれ、遊んでもらえる状況を保つべきなのです。
岩の上に滴る水のしずくが時と共に石に形を与えていくように、子供達に継続的に与えられるポジティブあるいはネガティブな影響は、彼らをも時と共に形作っていくでしょう。子供の教育において、子供が受け取る適切な、理想的な刺激は、その年齢に適したものである必要もあります。その発達の助けとなるべきものであり、過度であってもいけず、不足であってもいけないのです。性質の発達も支えてやる必要があります。またそれは家族のあり方に適合したものであること、周囲との関わりも保ってやることが必要です。矛盾するメッセージを送ったり、恐怖や失望感を与えてはいけません。体と精神の健全さを保つ上でも肯定的な影響となるようにするべきなのです。
結論として、子供の教育においては両親や医師、教育者や教師は子供達に適した、適度な量の刺激やメッセージを与える必要があるのです。
(Dr Hasan AYDINLI)